こんにちは!こんばんは!
ASTEPを利用する子どもたちの中にも、知的障害の子どもさんがいらっしゃいますが、彼らへの見方や考え方、少しでも理解を深め、彼らの生きやすい社会になれれば…という想いをもって発信したいと思います。
このブログを読んでくださっている皆さまもきっと一度は『知的障害』の方を見たことがあったり、関わりをもったことがあるのではないでしょうか?
未だ出会いのない方ももしかするといらっしゃるかもしれませんが、今後きっと出会われる彼らとの関わりの参考となれば嬉しいです。
立命館大学・政策科学部卒~某アパレル企業に就職~結婚を機に退職
父が特別支援学校の校長だったこともあり、児童福祉の道へ進むことを決意!
現在は、2021年にASTEPを立ち上げ、仕事と子育て(2児の母)の両立を目指し日々奮闘しています!
社会の人々が『知的障害』を少しでも理解できたら…
〖知的障害〗
知的障害は、精神遅滞とも表される知的発達の障害であり、論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、学校や経験での学習のように全般的な精神機能の支障によって特徴づけられる発達障害の一つです。
このように、入ってきた情報を整理して物事を関連づけて考えたり、自分の考えを上手に表現することを苦手とする障害と考えられています。
ASTEPでも、学習面や友達との関わりにおいて、読み書きや計算、相手に伝えること、推論などが苦手となしている子がいますし、その程度も様々です。
障害者基本法、障害者自立支援法によって、知的障害をもつ彼らを『障害者』と呼称するわけですが、彼らが社会にとって『害』があるということは決してありません。
社会というものは多種多様な人たちで成り立っていますし、もちろん彼らも社会を形成をしている人たちになります。
知的障害者である彼らには自らやりたくても出来ないことが多くあります。間違ってはいけないのは、出来ないことがあること自体は障害ではないということです。
社会は自分中心で回っているわけでもなく、誰しもが社会生活の中で、生活しにくいと思うことが少なからずあるかと思います。
そういった困難が少なからずある社会において、知的障害の彼らは出来ないことが多くあるだけであって、出来ないことがあること自体は『障害』ではないのです。
彼らの生きにくさの問題は、知的障害の彼ら自身ではなく、社会の中にあったり、人々の心の中にあるのではないでしょうか?
ASTEPを利用する低学年の子は、まだ年齢も低く、他者との関わりの経験が浅いため、まだ今の自分の状態を認識することが難しく気にしているということもありません。
そんな彼らが、様々な活動や友達と関わる日々を送ることで、人との違いを人と関わることで気づき、人との関わりの中で不具合や生きづらさが生まれてきます。
実は、それが「障害」なのです。
知的障害がある方は、生まれた時から「考えること」「予測すること」「判断すること」などが難しいことがありますので、健常者が当たり前に理解できることも難しかったり、より丁寧な説明が必要な人もいらっしゃいます。
知的障害があるその子に合わせて、丁寧な説明や困りごとをお手伝いしてもらえている家庭に生まれれば、その子どもさん本人は『障害』を気にすることがないのかもしれません。
家庭ではよき理解者がいる中、社会ではどうでしょうか?
社会の人たちは知的障害だと認識しているにも関わらず、冷遇されたり感情論だけの支援しか受けることができず、生きにくさを感じているように感じます。
中には、正しい知識もなく、偏見や差別から心無い言葉を浴びせたりする場面を見たこともあります。
正しい知識や理解のない人が、彼らの周りに多ければ多いほど、幸せに生きてきた人生が突然不幸になったりするのです。
そんな考え方や行動が、彼らを「障害者」にしているのではないでしょうか?
自分のものさしで、人の価値を決めている人や、役に立つとか役に立たないなど、そういうカテゴリーで人を分けようとする人が世の中には一定数存在しますが…意味のないことです。
役立たない人間ってなんでしょうか?そんな人はいません。
人間は、この世に生まれただけで社会の形成を担っていきます。これは知的障害や自閉症、発達障害に限らずです。
自分ができることをしていくことで社会は成り立ちます。彼らもできる限りのことをしています。
自分でもこんなことができるんだ!と気付けるように、やってみたら好きになった!と幸せを感じられるように、次は何を好きになろう!と挑戦できるように…という想いで多くのデイサービスの指導員や学校現場で支援にあたる先生は支援をしています。
それが『生きる』ということなのではないでしょうか。
障害がある人は、理解ある誰かの支援を受けることで『障害』は少なくなりますし、支援を受けた彼らは持ち前の能力を発揮できます。
私だって関わる方々からの支援を受けることができなければ、事業活動を始められませんでしたし、子どもたちや保護者の方々からの支援がなければ、事業を継続することはできません。
障害の有無に関わらず、持ちつ持たれつ、支え合っているのです。
これが支援の本質です。
そういったことを少しでも気に留めることができると、彼らから多くの気づきを得る事もできますし、彼らの障害を減らすきっかけにもなれるのです。
それだけで彼らは生きやすくなります。
多くの人が気に留めてくれることができれば『障害』もなくなるのかもしれません。
知的障害の子どもさんを含む彼らの素晴らしさは毎日のように私が身をもって感じています。
時に厳しく指導するときもありますが、彼らは少しずつ成長の階段を上っています。
そんな彼らの背中を押してあげることできるとすると、それは『彼らへの理解』ではないでしょうか?
感情論ではなく、ちょっと興味をもって知る機会をもってもらえると嬉しいです。
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