久しぶりのブログ投稿となりました!
言い訳をしますと…次年度利用を開始される方へのご見学や体験活動の準備や、絶賛開催中の保護者モニタリングのため、更新の時間がありませんでした。
インスタグラムは手軽に更新できるため、毎日更新しています。宜しければご覧ください◎
というわけで、久しぶりのブログのテーマは『集団療育のジレンマ』ということで発信したいと思います。
ほとんどの施設が集団療育をメインとしており、ASTEPでも集団での療育をメインとして実施をしています。
私が感じているジレンマは、おそらく同じ業種の方だったら想いを共有できるかな~と思っています。
現在、放課後デイ児童発達支援を利用されている方にも考えていただきたい内容になりますので、ぜひ最後までご覧ください♪
集団療育に感じるジレンマ
特性のある子どもさんが〖集〗まる場所として、放課後等デイサービスや児童発達支援の施設があります。
下校の時間も学校によりけりですが大体同じ時間帯、下校~夕方まで1つの施設に〖集〗まるのですが…否が応にも〖集〗団性が高くなります。
指導員の配置基準は決まっていて、曜日ごとに決まった集団が形成され、個別支援計画に沿ってに個別に支援していくことがベースにあるのにもかかわらず、集団ありきの支援となってしまうことを危惧をして、日々の活動ごとに修正をかけています。
この点はかなりシビアに考えていますし、ASTEPでもそういった場面がないと言われるとNo…という他ありませんが、この集団ありきの療育が当たり前という感覚にならないよう工夫をしているところです。
また、スケジュールや活動についても、より効率的で、指導員の人数に見合った活動にせざるをえないとお考えの施設も多いことだと思います。
今の報酬単価や加算体制では残念ながらどの施設もこうなっています。(人を増やせばいいのか?というとそうではないところもありますが)
ですので、選択肢として自動的に集団療育を選ばざるを得なくなり、何人の利用者を同時に支援するかという論理となるわけです。
こうなることで、支援者側は集団の論理という目に見えないものに左右されてしまい、個別の支援を考えないといけないところ、集団を先に考える思考の形になってしまいがちになる。
私自身も、集団による教育を受けてきたり、右向け右、はみ出すと白い目で見らたり、人の目が怖くなることを恐れ、主体性を損ねてきた生活を続けてきました。
そういった経験があるものですから、集団へのサービスの均等性という思考の形になるのはあまり良くないのでは?と感じるわけです。
A君への関わりとB君への関わりの違いを個別支援とは捉えず、集団性の観点からのみの言葉で処理…
「〇〇君だけ特別はだめだよ!」
という言葉だけで済ませてしまうのは私の考え方ではない…と、指導員には教育しています。
話が脱線しましたが…
たった一人のためにサービスを提供することに、ある意味の拒否感を持ち「特別はよくないよね~」という論理になることは本来よくないこと。
子どもさん本人からすれば、個別に支援(活動)することは願ったりかなったりのはず。
マンツーマン対応は指導員が大変だからというイメージも持っているのかもしれません。
もちろん、集団療育は集団療育でメリットがあり集団の中で得ることのできる経験がありますし、ASTEPも経験という意味で集団療育を設定し、その活動の中でできる〖言葉掛け〗には、持っている引き出しを最大限に活用しながら集団の中で〖個〗へのアプローチを行っています。
集団療育の中で個別療育で出来るSST(ソーシャルスキルトレーニング)を行うイメージで子どもさんと関わりを持つようにすることは特に意識してます。
しかし、集団療育にこだわり過ぎると、子どもさんの自立の方向性から逸れ、時間つぶし的な活動も多くなり、逆に人手がかかっている状況が変わりなく続くことも考えられます。
もし、個別の活動が出来てくると、できることがさらにできることを増やし、結果として自立度は高まり、指導員からの手を離れやすくもなります。
指導員にしてもらいたいことは『どんな将来になるのか』をイメージしながら関わってほしいと伝えています。
これを考えることができれば、集団療育の中で浮いている子どもさんに対して、臨機応変に個別に最善の支援をいれることができますし、その支援はきっと自立方向に向かうはず!
集団ありきではなく、個別という支援が子どもさんにとっては、今以上に心地よくなり、自立度が高くなることで、支援の時間をも減らすことにつながるんじゃないかな~と。
一辺倒の集団療育になっているからこそ、支援を多く入れている実態も考えなければなりませんね。
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