障がいのある人は“がんばる”べき? それとも…?

障がいのある人は“がんばる”べき? それとも…?

障がいがある人は、どう見られているのだろう?

がんばっていて、純粋で、心がきれいで、裏表がなくて、優しくて、笑顔が素敵で、まじめで……

そんなイメージを持っている人、多いんじゃないでしょうか?

「障がいがあるのに、一生懸命がんばってる!」って感動して、「私も頑張らなきゃ!」と励まされることもありますよね。

でも、その一方で、彼らは社会の中で受け入れられるために、「がんばること」を求められたりします。

もし、がんばっていなかったら、「それはおかしい」と思われてしまうことも。

でも、それって、「障がい」を本当に理解していることになるのでしょうか?

「障がい」って、彼ら自身のことを指すんじゃなくて、社会の中で感じる生きづらさのことだと思ってます。

彼らだって、私たちと同じように、楽なほうに流れるし、その日暮らしなこともあるし、好きな人にはときめくし(笑)、ときにはサボったり、適当にごまかしたりもするし。

つまり、決して「特別なすばらしい人」なわけじゃなくて、僕たちと変わらない「ひとりの人」なんですよね。

(もちろん、中には「すばらしい人」もいますが、それは障がいの有無に関係ありませんよね。)

はじめて会うと、「がんばってるなぁ」と思うことがあるかもしれません。

それは、人と接するときに「いい子」でいようとする演技派の人もいるし、あなたが持っていた「障がいのある人のイメージ」とのギャップがあるからかもしれません。

でも、しばらく付き合っていくと、彼らの「素の姿」が見えてきます。それこそが、本当の彼らの姿なんです。

もう一度考えてみてほしいんです。

あなたは、誰に何を求めたいですか?

社会に合わせようとする障がいのある人?

それとも、障がいのある人に合わせようとする社会?

彼らは「こうあるべき」と決めつけるんじゃなくて、彼らの持ち味がちゃんと発揮できる場を、私たちが作ればいいんじゃないでしょうか?

そうすれば、彼らが感じる「障がい」そのものが、少なくなっていくはず。

彼らの力を引き出すのは、社会に適応させるためではなく、彼ら自身が持っている力を、もっと使いやすくするため。

だからこそ、支援をしていくし、だからこそ、自立について考えるべきなんですよね。

でも今の社会では、「社会に合わせるための教育や支援や医療」が当たり前のように行われています。

それって、本当に正しいのでしょうか?

もちろん、僕自身も支援をする中で、「知らず知らずのうちに、社会に適応させようとしていないか?」と自問自答することがあります。

この部分、すごく間違いやすいんです。

まったく同じ支援をしていても、自分がどこを向いているかによって、結果は変わってきます。

もし「社会の側」を見て支援をしていたら、知らないうちに「障がいのある人ががんばる仕組み」に組み込んでしまうかもしれません。

でも、「本人のこと」を考えて支援をしていたら、彼らが持っている力を活かしやすい環境を作ることができるはず。

だからこそ、「私はどこを向いているのか?」を問い続けながら、支援のあり方を見直していかないと、と思うところです(自戒の念を込めて)


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