新たに見学に来られた親御さんや相談員さんには、ASTEPは集団療育を軸にしている施設です。という言葉を使い説明をしています。
ASTEPに求める親御さんのニーズは、集団の中で友達と楽しく関わり合いながら自立した人間になってほしい、という思いを持ってASTEPに来られる方が大半、そんな親御さんの思いとは裏腹に、さまざまな理由やご本人の特性等から集団療育に参加することが難しいお子さんがいらっしゃるのもまた事実なんですよね。
ということで今回は【支援者の集団論理と個々のニーズの対立】というテーマで書いていきたいと思います。
支援者の集団論理と個々のニーズの対立
障がいのあるお子さんが支援を受ける際、通常は集団の中で支援が提供されます。(個別療育施設は異なります)
この集団的アプローチでは、お子さんのある程度グループ化し支援員を配置、個別支援計画に沿って支援が行われます。
しかしながら、活動を計画する段階で、個々のお子さんが集団に合わせた支援となっていないか?集団ありき、の考えとでも言いましょうか。そんな視点で活動計画をチェックしています。
例えば、一人の支援者が何人もの利用者を同時に支援するという考え方が一つの基準です。
この集団的なアプローチには見えない論理が影響を与え、個々の人生を考える際にも集団全体を優先する思考パターンが日常化することがあるんですよね。
長年同じ方法で運営されている施設なんかでは、このような状況が常態化しているんじゃないかな?と思っています。
そして、支援者自身も集団教育を受け、家族の中で平等性が重要視されてきた影響から、集団によるサービスの均等性に対する考え方が強くなりがちです。このため、個別支援計画を越えた「特別な対応は避けるべきではないか?」といった疑念が生まれることがあります。
実際には、施設という形態は建物や福祉機器を共有するためのものであり、集団内で同じ活動を強制されることはないはずです。にもかかわらず、何らかの誤解が生じている可能性があるんです。
そのため、作業課題の内容や活動が個人によって異なる場合でも「集団性」が保たれることがあったり、一人のために行われるサービスは、日常生活の支援以外は少ない傾向にあるんじゃないでしょうか?
個別のサービス展開に対する抵抗感は「特別なことは許されない」という考え方から生まれるものなのかな?と感じています。一対一の支援が職員にとって負担になるというイメージもあるかもしれません。
集団的なアプローチに順応し、集団の中でできることに満足するのは支援者側の傾向であって、結果、利用者の自立に向けた道筋を見失っているかもしれない、と考えられないと、継続的な支援が失敗に終わる可能性があったりします。
今行っている支援によって将来的な結果を想像できないのであれば、なぜ集団的アプローチが必要であるかを再考する必要がありますね。
個別の支援が与える利点を理解し、利用者の自立度向上にどう貢献できるかを考える時が来ています。
集団的な支援が多いこと自体についても見直し、現在の課題を新たな視点から捉え直して、お子さんの個別性と自立、そして支援者全体の業務バランスという観点から、なぜ今、集団性にこだわっているのかを改めて考え直して、立ち返って考えてみてもいいかもしれませんよ★