【支援の再考】支援者が考えるべき好き嫌いの克服について

【支援の再考】支援者が考えるべき好き嫌いの克服について

障がいがある人に限らず、誰にでも好き嫌いがあります。(僕はトマトは何があっても食べません)

この好き嫌いに対して、支援者がよく行うのが、嫌いなものを克服させること。しかし、これを支援だと思い込んでいる人がいらっしゃるかもしれませんので断言しますが、それは支援ではありません。

もちろん、本人が自己決定のもと克服したいというのであれば、支援の一環として捉えることもありますが、本人が克服したいと思わないものを支援者の一存で「慣れてくれなければ困る」「慣れれば良いことがある」と強制するのはこれはちゃんちゃら間違いです。

さらに、「常識的にこれに慣れるのは当たり前」「集団生活の中でこれに慣れてもらわなければみんなの迷惑になる」「これを嫌いな人はあなただけだ」という理由で、本人が嫌だと思っていることを日常的に経験させるのもよくありません。

支援者は、そういった行為が本人のためだと思い込み、自分が良い支援をしていると勘違いしていることがあるかもしれません。

本当に良い支援なのかどうか、あなた自身の経験を振り返ってみましょう。

あなたの嫌いなものは?

食べ物、虫・動物、雰囲気、音、声、人間、生活リズム、色、、天気、気温など、いろいろな場面で好き嫌いを感じるものがあります。

その嫌いなもので、他人は好きだと聞いたことがあるものを思い浮かべてください。他人が好きだから自分も好きになろうと思いますか?

先述しましたが、私はトマトが嫌いです。全く食べませんし、今から好きになろうとも思いません。

あなたは克服しようと思いますか?

あなたが嫌いなものを克服しようと思いますか?そのものを好きにならなければ困る場合は別ですが、困っていないのであれば、克服しようとは思わないですよね。

私の場合、トマト以外にも苦手なものはありますが、特段慣れようとは思いません。なぜなら困ってないからです。その物が好きな人をうらやましいとも思いません。

あなたが嫌いなものを慣れるように言われたら?

嫌いなものは嫌いです。自分で慣れたほうが良いと思っていないことを「慣れたほうが良い」と言われても、拒否できるのであれば拒否しますよね。

私であれば、慣れたいとも思いませんし、強要されるとストレスを感じます。食べ続ければ慣れるとも思えませんし、できれば逃げ出したいと思います。

保育園の時に嫌いなトマトを無理やり食べさせられたこと、食べきるまで席を離れられなかった記憶が今も残っています。その時の経験から、嫌いなものを食べることがいかに苦痛か、身をもって理解しています。

さいごに

支援の原則として、まず、本人の意思を尊重し、本人が何を望んでいるのかをきちんと理解することです。

本人が克服したいという場合でも、その理由を確認する必要があります。支援者に言われたから、褒められたいから克服したいと言っているのであれば、本心なのかを確認しなければなりません。自ら克服したいと言うのとは明らかに違います。

次に、支援者としての心構えですが、障がいがある人に対しても、自分が避けて通っている嫌いなものを強要することはしてはなりませんし、続けて良いことではありません。もちろん、命に関わる場合はケースバイケースで考えなければなりませんが、一般論としては、嫌いなものには何年付き合おうが慣れません。

それでも強要している場合は、人権侵害や精神的虐待の可能性を疑うべきで、支援ではありません。

障がいがある人に対して、本当に良い支援とは何かを考え、本人の意思を尊重し、無理強いをしないこと。支援者自身も、自分の経験や感情を振り返り、適切な支援とは何かを見直していきましょう!(自戒の念を込めて)


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