子どもたちの「成長」を生業とし、ある意味抽象的な意味合いを持つ「療育」というものにのめり込み、私自身が考える「療育のあるべき姿」を体現するためASTEPを開所しました。
そして、ASTEP(アステップ)が開所して半年が経ちました。
私はこの半年間、ASTEPを開所する時に思い描いていた「療育のあるべき姿」を追求してきました。ASTEPの子どもたち、我が子を想う保護者さんとの出会いの中で心境が変化してきているように思えます。
私が思い描いていた「療育のあるべき姿」と、心境の変化についてお伝えをし、共感してださる人々が1人でも増えることを願うとともに、皆さまと想いを共有するため発信します。
目次
療育支援を行う以前の大前提
療育現場で働く人(そもそもどんな職業の人でも)の最低限の条件だと思っています。
私たちが提供したサービス(真価)というのは、報酬(国から9割・保護者から1割)という形で頂戴し、その報酬はASTEPで働く職員や療育の質の向上のため(施設や備品・プログラムで必要な物など)に消費しています。
「利益を求めてはいけない」という風潮が福祉の業界にはありますが、それはそれで違うかなとも思います。
何のために利益を追求しているのか?という目的のところに目を転じると、やはり現場で子どもと向き合い、一生懸命に考え抜いたアプローチを日々継続して行ってくれている指導員に還元するべきなんです。(私腹を肥やす経営者もいらっしゃいますが…)
そしてその報酬というのは、国や自治体(納税者)や保護者から受け取っていることを深く認識しなければなりません。
なぜ、国や保護者は、多額ともとれる報酬を捻出しているのか?それは「お金を出すから療育をして結果を出してください!」これが理由でもあり対価と言われるものです。
優秀な指導員は、報酬体系を良く理解していますし、真価を提供し報酬以上の仕事をします。
そういった方々は、仕組み(療育支援に対して国や保護者が報酬を支払う事実と流れ)をよく理解する必要があります。
プロ意識を持つこと
私の長いようで短いキャリアの中で、業界の課題でもあり、今もなお感じていること…それは指導員の「プロ意識の低さ」です。
指導員としてのプロ意識とは…そもそも「プロ」というのは、サービスに対して対価を得る者であり、自分の行動や言動に責任を持つ者、仕事を通して地域社会へ貢献できる者です。
「意識」というのは、自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のことを言います。
▷ 例えば…
JALやANAの客室乗務員さんの中に、長いネイルをしている人や、服装が乱れている人がいるでしょうか?答えはNOです!
誰からも好感をもってもらえるような清潔感や品のある見た目で、飲み物お食事のサービスを行う乗務員さんは、髪の毛をきちんとまとめた衛生的なスタイルであり、お客さんとの関わりで装飾品(爪も含む)で傷つけることは許されませんし、緊急時に速やかに誘導させるために、さまたげにならない無駄のない身だしなみですよね。
これらを私たち業界(指導員)に置き換えると、残念ながら雲泥の差があります。そもそも療育(サービス)を行う以前の話です。
サンダル姿で子どもと外遊びに行って、何か緊急事態が起きたときに、早い初動が取れるのでしょうか?子どもの安全を最大限に努めた運転ができるのでしょうか?
長く鋭い爪を付けて遊び、不意に傷つけてしまうことは考えられないのでしょうか?(他にも理由を並べたらきりがありません。)
そういった姿を送迎の場でも、今もたくさん見ています。隣の畑という思いはなく、純粋に子どもが心配でなりません。
「療育のあるべき姿」を追求する以前に、「指導員としてあるべき姿」を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
言わずともASTEPの指導員は理解していますが、幾つかピックアップすると…
▷ 服装・態度では…
かかとのないサンダルは禁止(緊急時に初動が遅くなる)
子どもを傷つける恐れのあるネイルは禁止(セルフネイルは可)
華美な装飾品の禁止(事故防止の観点で)
▷ 行動・言動では…
学校の先生への対応、子どもの引継ぎの際、細やかな様子の聞き取りの実施(家族への情報提供)
挨拶は子どもからではなく指導員から声をかける。
施設を清潔に保ち、最低限机上の整理整頓は必ず行う。(個人情報等の重要書類の紛失防止)
特別なことを行っているわけでもなく難しいことも行っていません。当たり前のことを当たり前に行動できることが、プロ意識を持つ以前に必要なことではないでしょうか。
療育者としてのプロ意識とは
▷ 療育者としてのプロ意識
療育を行う時の効果やマインドを理解し正しく実践し評価すること。
実践の中で得た効果を皆にフィードバックすることに加え、更に良い方針を提案できること。
冒頭で「プロ意識」のお話をしましたが、プロとして対価を得ている以上、中途半端な気持ちで療育実践をしてはいけませんし、無責任な発言をするべきではありません。
子どもや保護者だけではなく、社会への価値を提供していくこともプロであれば当然のことです。
それができて初めて「プロの指導員」と言えるのではないでしょうか。
強制しない、叱らないなどのキレイな言葉を並べることはできますが、これだけなら誰にでもできます。感じの良い人を雇用して、ニコニコ優しくしていればいいだけですからね。しかし、それだけではなく「結果を出す」ことこそ、療育支援では必要な役割です。
私が考えている「療育のあるべき姿の追求」の1つとして、職員の質の向上を求めています。
ASTEPの職員は、ただ単に勤務態度が良くて、子ども受けもいい、優しくて強制させないなどの関わりを行っているだけでは不十分です。
具体的には、療育を行う以前の服装・態度をはじめ、療育を行う時の効果やマインドを理解し正しく実践し評価すること。実践の中で得た効果を皆にフィードバックすることに加え、更に良い方針を提案できることを求めています。
一歩ずつ、そういった人材を育てることが、事業所や業界の底上げになると信じて日々運営しています。
何よりも、まずは子どもを発達を促すこと、または発達を促すことが難しい場合であっても、環境設定や、地域社会への働きかけを行い、その子どもが地域の中で伸び伸びと育つことができるようにするためのバックアップを行うことです。
それが、指導員の真の役割です。
ASTEPの職員間では、「頑張ろう・頑張ってやっていきましょう」などの「頑張る」というワードをNGにしています。
療育は頑張るものではなく、頑張って何とかなるものでもありません。
不意に「頑張る」というワードが出たときは「え?何を?」とみんな食い入るように攻め立てるような勤務環境です!
療育のあるべき姿の追求とは
▷ 療育のあるべき姿
怒る・強制される療育=✕
内発的動機づけを行い、好奇心を刺激する療育=◎
ASTEPの「療育のあるべき姿の追求」についてお伝えします。
「全ての子どもたちが幸せを感じ、地域の格差なく平等に質の高い療育を受けられること」を目標としています。
壮大な目標であることは分かっています。私一人の力など微々たるものです。しかしながら誰かが発信し続けなければ、今の不平等な現状を変えることができないと思っています。
その目標を叶える一歩として、「強制される療育」を少しでも失くせるよう、情報を発信しています。
強制される療育に効果はなく、怒って叱ってこちらの主張を聞かせる…というのはプロのやることではありません。(子どもの特性によっては、命に関わる行動をとった際、叱った後にフォローするアプローチを行う場合はあります。)
大事なことは、強制される療育の中で行われている外発的動機付けではなく、子どもの特性や心理的状態を考慮した内発的動機付けを行うアプローチを行うことです。
内発的に行動意識を高めてあげることが自主性や自律性に繋がり、行動力が身に付くとともに、考える力が身に付き意識の変化を見込むことさえできます。強制される療育を行っていては、その効果は皆無に等しいです。
大切なのは「強制させること」ではなく、「内発的動機づけを行い、好奇心を刺激すること」です。強制させない、でも成長は促す。これができればプロの療育者です。
ASTEPが日々実践している効果的な療育の手法を、次で詳しくご紹介していきます。
内発的動機づけを行う療育
▷ 内発的動機付けを行う療育
子どもの意思と好奇心を尊重・刺激し、モチベーションの持続を促す。
内発的動機づけを行ううえで最も着目したいこと、それは先ほども紹介しましたが「好奇心の刺激」です。
子どもが好奇心を持つものを尊重し、すぐに答えを与えるのではなく、「なぜだろう?」「どうしてだろう?」と一緒に考える機会をもつようにしています。「自分で気づく」「自分で発見する」喜びの経験を積み重ねることで、主体的に考える力が身に付きます。
また、「今回頑張れたこと」「できるようになったこと」を見出せるような働きかけをします。
例えば「前回できなかった鉄棒の前回りが今回はできるようになった」「以前よりもハサミの使い方が上達した」など、私たち指導員(親御さん)が、子どもの成長や変化を積極的に伝えていくと、子どもが少しずつ自己承認できるようになり、チャレンジする意欲を持ちやすくなります。
能力に応じて少し頑張れば達成できる目標を設定し、成功体験を積み重ねることは最も有効な手段です。実際にASTEPのプログラムでは一人ひとりに療育の目標を設定した内容で支援を行っており、LP(レッスンプラン)を作成している理由もそこにあります。
好奇心からの「できた!」という達成感は、「次もやってみよう!」などの、爆発的な意欲につながります。
今日は少し休みたい…少しだけ参加したい…など、一見するとマイナスな意思も尊重されるものです。子どもたちも当然気分が優れない時もあります。逆に気分を上向きに持っていけていない事業所や指導員側に問題がありますから。
しかし、裏を返すと自分の意思を主張できていることになります。マイナス思考のまま療育活動に参加したところで、メリットは皆無です。
気分が優れない理由の背景を探ることも指導員としての大事な仕事の1つです。背景を正確に捉えるためには、子どもたちの様子を広い視野を持って行動や表情を注視して必要があります。(見守りだけの施設はこれをしていません。)療育室に一歩入れば戦場!指導員自身、気持ちの切り替えを行う必要すらあります。また、そういった背景を広く捉えるために保護者との連携を密にしています。
自分が好きでしていることには、モチベーションを持続しやすいものです。内発的動機づけには、損得感情ではなく、それを「したい!」という気持ちが重要です。
「したい」と思う理由には、「好き」「楽しい」などとともに、「自分が選んでいる」「自分が決めている」「自分は役に立っている」「自分は頑張れている」などの自覚を促すことも大切になってきます。
何より「子どもの意思と好奇心を尊重し、モチベーションの持続を促すこと」ができれば療育のプロとして一人前になれるのではないでしょうか。
子どもたちに平等な療育の機会を
▷ 平等な療育機会の提供
見守りや虐待など、障がい児の人権を無視した療育=✕
子どもの意思を尊重した一定水準の質を保障した療育=◎
私が目標として掲げ、目指していることは「子どもたちに平等な療育の機会を」という想いを常に抱いています。当ブログもそんな想いを持って発信し続けています。
なぜ、このような目標を掲げているのか?当初は子どものため!と思っていたのですが、結局のところ自己満足でしかないかもしれません。
こういった心境の変化はありますが、極論、自己満足でもいいと思っています。今よりもこの業界が盛り上がり、一定水準の質を保障した療育施設が増えるのであれば動機はなんだっていい…そう思っています。
何より私は子どもが好きです。特に、障がいをもつ子どもたちは、人を憎む心もなく、自分の気持ちに真っすぐなんです。この世に天使がいるのであれば、この子たちだと思っています。
そんな天使のような存在である子どもたちに対し、親御さんの願いとは裏腹に「療育=見守り」のような施設が多く存在していることや、虐待に近いことを受けたりしている事例が多くあります。これは表面化されていないだけで実際に存在している事実です。
親がいないところで子どもがパニックを起こしているのに強制的に車に押し込まれたり、ゲームやスマホを渡され誰とも関わることなく過ごさざるを得ない子ども、一方的に怒られフォローなく過ごしている子ども…私が見聞きした事例だけ挙げてもキリがありません。
これらの現状に共通して言えることは「人権無視・人権侵害」のほか何ものでもありません。障がいをもつ子どもたちにとって、人よりも努力を重ねなければならない貴重な時間を奪い、学ぶ機会すら提供されないことに対し、強い憤りを感じています。
ASTEPのブログを読んでいる業界関係者や保護者さんに対し、1人でも多くの方に現状を知っていただき、意識を変えていただくことが私にできることだと思っています。
本当に微々たる情報発信にではありますが、そういった意識が人から人へと回り回ることで、良質な施設、良質な指導員へと生まれ変わり、そんな意識を持った経営者や指導員が新たに誕生してくるものだと信じています。
さいごに
ASTEPの子どもたち、保護者様並びに関係各所の皆さまのご理解とご協力のおかげをもちまして、大きな事故もなく開所して半年を迎えることができました。
Blog上で恐縮ではありますが、日々のご支援に感謝を申し上げます。
ASTEPを開所するときは、「ASTEPを盛り上げるぞ!」という想いから、開所して半年で、「業界を盛り上げるぞ!」という心境の変化があります。
当然、ASTEPに来ている子どもたちは誰よりも大事に考えています。保護者支援も含め、私たちを必要としていただいている方々に対し、信念を持った支援と療育の向上をお約束し、私の自己満足である壮大な夢を叶えるために、一歩ずつステップを上がっていけるよう、子どもたちとともに成長していきたいですね。
ASTEPの子どもたちの成長は間違いなく私やASTEPの指導員のモチベーションとなっています。子どもたちから力をもらっていることも沢山あり、気づかされることばかりです。
子どもたちから受けた力を、ASTEPに関わるすべての方々に還元したり恩返しができるよう、これからも地に足を付けて支援を行っていきたいと思います。
駄文ながら、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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