障がいを持つ方やお子さん自身の障がいを理解することを求める声がありますが、実は私はそこをあまり重要視していません。
もちろん障害受容という言葉があるとおり、自身で自身を理解することは言葉からすると大切なことだし、生きていく上で必要なことなんだろうと思っています。
でも今回の話はまた別視点で別次元のお話になります。
支援者がよく使うフレーズ【障害理解】を含めた支援の本質について、私見を語っていきたいと思います。
障がい理解より重要な支援の在り方
多くの人は、障がいを理解していないからうまくいかないと考えがちですが、それが本当に「だめ」を意味するのでしょうか?
障がい理解がないから支援ができないという支援者は、自分自身の役割を見落としているのではないんじゃないかなと思います。
私たち支援者は、本人が理解できない部分を補い、困難な部分や時間がかかる部分を見極め、一緒にサポートしていくことが求められますから。
障がいのために自分の考えを伝えられない子どもたちもいます。
「障がいの理解がないから支援できない」という考え方は、支援者本位であることにまず気づかなければなりません。
障がい理解がなくても、「困っていること」や「手伝ってほしいこと」を感じ取ることができれば、生活がよりスムーズになります。
例えば「学校の準備(教科書)を手伝ってほしい」と頼むことができるだけでも、これはもう支援の第一歩
本人ができることを見極め、少しのサポートで自分でできるようになることもあります。
例えば、重ねて置いている教科書を、机の上に並べることで視覚的に見やすくする工夫を入れる(教える)ことで、難しかった障がいの壁を乗り越え、自分でできることが増えたりします。
障がい理解と自分ができないことを伝えることはまた別物。まずは、できないことを伝えられるようになることが次のステップに繋がるんだと思います。
できないことを伝える、手伝ってほしいことを伝える、そう思っていることを伝えることが重要です。
支援者は、子どもたちが伝えてきたことに対して、なぜできないのかと責めるのではなく、支援の方法を考え、一緒に解決策を見つける。これが支援者のミッションです。
伝えることが難しいお子さんもいますし、伝え方がわからない、伝えていいのか迷っているお子さんもいます。
自分でやらないと怒られると思っているお子さんや、自分の力でやれないならやらないと考えるお子さんももいるでしょう。
支援者が先手を打って支援している現状では、お子さんが自分で訴える力を失ってしまうことに繋がってしまうことがあります。私たち自身が、彼らの障がいを助長している面も一方で考えなければなりません。
自分からSOSを伝えることに躊躇するような状況は避けたいです。伝えることで怒られると思っているお子さんにはなおさらです。
支援のスタートは、本来、ご本人からの発信であるべきですし、自分から伝えることの支援もまた、重要な支援の一部です。
きめ細やかに、そして継続的に、子どもたちが一人でもできるように支援を続けていきたいですね。
今までできたことがもっと楽にできるように、できないことは他者に頼れるように、伝えることが安心感に繋がるように、いろいろな自立の形を支援していきたいと思います。